【実録】【手術編】次男は重度の先天性僧帽弁閉鎖不全症〜苦しかった日々〜【生後4ヶ月】
こんにちは!
手術前後の事をたまに思い出しては「1日1日を大事に過ごさなきゃな」と改めて思うぴぴぴままです!
今回は重度の先天性僧帽弁閉鎖不全症(心疾患)である息子の手術前後の事をご紹介します。
※ICUにいる時の画像あります。ご注意ください。
正直思い出すだけでも、つらく苦しいものがあり、涙が出そうになります。
ですが、これを乗り越えたから今がある、とも思います。
この記事が今闘病中の方やそのご家族の希望となれば嬉しいです。
そして今これを読んでくださっているあなたに「命の尊さ」や「生きる奇跡」を伝えられたらな、と思います。
手術の日〜を読みたい方は目次から飛んでください。
- 心疾患発覚の経緯と症状
- 初めての入院(緊急入院)
- 帰宅後の様子〜入院が決まるまで
- 検査入院〜カテーテル検査〜
- 急変、つらい日々の始まり
- ICUに移動
- 手術が決定
- 私の本音ただの自分語りです
- いよいよ手術当日
- まとめ
心疾患発覚の経緯と症状
生後1ヶ月、様子がおかしいと思い病院に連れていったところ、心雑音がするとのことで発覚しました。
ミルクの飲みがあまりにも悪かったり、ものすごい吐き方をしたり、顔色が悪かったり、発覚するまでいつも「何かおかしい」と思っていました。
先生は「酷い」「重度」という言葉を繰り返し説明していた事をよく覚えています。
【実録】次男は重度の先天性僧帽弁閉鎖不全症〜心疾患発覚までの経緯と症状〜 - 男児3人年子ぴぴぴままの日常
初めての入院(緊急入院)
病気がわかり、その場で入院となりました。
病状は上がったり下がったり…
ですが、1ヶ月の入院生活を経てなんとか帰宅の許可がおりました。
【実録】次男は重度の僧帽弁閉鎖不全症〜先天性心疾患入院 - 男児3人年子ぴぴぴままの日常
帰宅後の様子〜入院が決まるまで
5月から1ヶ月入院し、6月に退院し、2週間に1度の通院と服薬、いくつかの約束事を守りながら過ごしていました。
そして8月頭の通院の日、いつも通り身長と体重を計り、レントゲン検査を終え、名前が呼ばれるのを待っていました。
正直病院に来る前から「このまま入院となってしまったらどうしよう…」と心配していたんです。
ミルクの飲みが悪かったからです。
退院時には80飲めるようになったミルクが20〜50に減ってしまっていました。
診察で呼ばれ、ミルクの飲みが悪い事を先生に伝えると、先生も「体重を聞いた時からちょっとまずいな〜と思ってた」との事でした。
そして案の定「手術の為の検査入院をしましょう」と言われてしまいました。
ただ、最近は緊急入院じゃなくて予約して入院ができるとの事でその場での入院は免れました。
「今月中に検査できればいいけど〜」と軽く言われたので「来月になる可能性もあるのか〜1ヶ月も先じゃん〜」と思っていました。
また決まり次第連絡する、との事だったのでその日は帰ったのですが、なんと!!翌日に病院から電話が。
翌月の可能性もあると思っていたので、何か別の用事かと思ったのですが、かかってきて言われたのは「明後日からでも大丈夫ですか〜」というような事でした。(笑)
そして、8月上旬の検査入院が決まりました。
検査入院〜カテーテル検査〜
入院した日にカテーテル検査のリスクやらなんやらを色々説明され、カテーテル検査を行ったのは入院翌日でした。
ちなみに普通なら3〜4日で退院できるとの事だったのですが、我が子は最初の段階で「1週間は入院する」と言われていました。
ただの検査入院だしーと思いながらもカテーテル検査のリスクに少し怯えていました。
検査のくせにリスク高くない!?なんて思っていました。
ただ、やはり術前検査ですし、そこまで心配はしていませんでしたね。
検査に見送り夫と喋りながら待っていました。
戻ってきた次男はまだ意識もなく、ただ寝かせられている、という感じで、アレルギー反応なども特になく、無事に終わりました。
急変、つらい日々の始まり
いや、無事に終わったはずでした。
急変したのはその2日後の事でした。
急変前日、お見舞いに行った時にも実は顔色が悪くとても苦しそうな状態で…
寝かせていると苦しいからということで、ハイローチェア(赤ちゃん用のベッド兼椅子のような物)で上体を起こした状態で寝かせられていました。
その時は先生からのお話などもありませんでしたし「カテーテル検査の後だからかなぁ…」「少しすればよくなるのかなぁ…」と思っていました。
ただ、見ているだけでつらく泣きそうになるくらい本人は苦しそうでした。
不安なまま帰りましたが、翌日の午前中に先生から直接電話が。
「このままもう少し様子を見ても大丈夫だとは思うけど、これ以上悪くなると危険だからICUに移動した」との事でした。
今思えば多分先生は私があまり心配しないようにそういう言い方をしてくださっただけで、本当は既にまずい状態だったと思います。
ICUに移動
急いで病院へ駆けつけると手足を固定され、人工呼吸器をつけ、たくさんの管で繋がれ、鼻にチューブを挿れ、色んな機械をつけられ、鎮静剤で眠らされている、いつもと違った我が子がそこにいました。
顔や身体はぱんぱんに浮腫み、まるで別人のような我が子。
この姿は思い出すだけで本当に胸が苦しくなります。
そして心電図がドラマでよく聴く音と同じようにピコーンピコーンと鳴り響き、心拍数は一気に低下。
正直もうダメなんじゃないか…と思ってしまいました。
書きながら泣きそうになってます(笑)
ちなみにこの時次男は左心房が肥大し器官が押しつぶしてしまっているため自発呼吸ができないんじゃないか、と言われていました。
器官狭窄というそうで、稀にそういうこともあるらしいです。
後に造影CTなどの検査をし違うという事がわかりましたが。
人工呼吸器の圧でさえ呼吸が難しく、30分に1回くらい心電図の音が鳴り響き、その度に看護師さんが管を入れタンを取り出し、布のポンプのような物で空気を送り込んでいました。
ちなみにカテーテル検査の結果で他に問題ない事がわかった為9/13に手術が決定していましたが、こんな状態になってしまった為他の検査(造影CTなど)が必要になってしまいました。
ちなみにこの時点でのBNPは7000弱でした。
BNPとは簡単にいうと心不全の指標となる数値のようなもので、普通の人(正常)の場合18以下となります。
手術が決定
ずっと鎮静剤で眠らされていましたが、ほんの少しでも身体を動かしてしまったりすると、それだけで心拍数が一気に低下。
そこで筋弛緩剤を使用する事になりました。
常時10種類程の点滴と、中心カテーテルをいれていましたが、なかなか良くなることはありませんでした。
少しよくなったと思っても、すぐ悪くなる…
そんな事を繰り返していましたが、このまま様子見をしていても良くなることはない、の先生が判断し、少し状態が良くなった隙に他の検査をしました。
少し状態がよくなったといっても上記の状態は変わりませんでしたが…
そして、ここから更に悪くなる事がなければ8/23(生後4ヶ月半)に手術をする、という事が決まりました。
正直「あぁ、やっと手術してもらえるんだ」「次男はやっと楽になれるんだ」との思いばかりでした。
もちろん心配もありましたが、この状況はあまりにも痛ましいものでした。
私の本音ただの自分語りです
手術が決定し、ホッとしたのも事実ですが心配ももちろん大きく、帰宅しては自分を責め、長男を寝かしつけてから涙涙の日々でした。
健康に産んであげられなかった事への罪悪感、本人の痛みや苦しみを想像しては自分の無力さを痛感し、代わってあげられたらどれだけ楽だろう、と毎日思っていました。
この子が死んでしまったらどうしよう。
もう無理かもしれない。
どうやって生きていこう。
長男が一人っ子で可哀想とか言われたら何と言えばいいんだろう。
こんなに苦しい事ばかりでこの子は何のために産まれたんだろう。
苦しい思いばかりさせて、痛い思いばかりさせて、どうしてこの子なんだろう…
不謹慎ではありますが、正直こんな事ばかり考えていました。
親である私が1番に信じてあげなきゃいけないとわかっていても、その時の私にはそれができませんでした。
苦しんでいる次男に笑いかけてあげる事がなかなかできませんでした。
ですがある日突然「いや、次男が死ぬなんて想像全然できないな」「いや、次男が死ぬはずない」「大丈夫に決まってる」「絶対元気になる!」と急に前向きに考えられるようになりました。
というより、信じぬくという決意をしたんです。
その決意をしてからは逆に今までの自分の考えがちゃんちゃらおかしく感じましたが(⌒-⌒; )
ただ、私が言える事ではないのかもしれませんが、信じられなくたって仕方ないと思います。
周りにそういう方がいても親が信じてあげなくてどうする!なんて声はかけてほしくないですし、自分がそうだという方も自分を責める必要はないと思ってます。
だって、親だからこそ誰よりも不安になるんです。
それにあんな姿見たら誰だって怖くもなります。
でも、子供の生きる力って本当にすごいですよ。
どんな状況だって「生きたい」と強く思ってるはずです。
私はその気持ちを、本人を応援したいと思いました。
私にできることはそれくらいですからね…。
いよいよ手術当日
それまで更なる急変など、事態が悪化する事はなく予定通り8/23に手術をしました。
ちなみに弁置換術ではなく、弁形成術という方法です。
手術は2件目で夕方から行うと説明されていました。
ちなみに手術の説明は別の日に両親揃ってとの事だったので夫には仕事を休んでもらい一緒に説明を聞きました。
最悪の場合死に至る事はもちろんですが、植物状態になる、などの説明も受けました。
それに関しては手術をする事自体にそういうリスクはつきものですが、我が子の場合ただでさえ危険な状態で体力もなく、そういった心配もありました。
15:30に手術室に移動したのですが、手術室のギリギリまでお見送りする事ができました。
実は私病気が発覚してから息子の前で1度だけ泣いてしまったのですが、もう絶対泣かないぞ、と決めていました。
お見送りする時本当は色んな言葉をかけてあげたかった。
ですが、声を出すと涙が一緒に溢れそうになり「待ってるからね」「頑張ってね」「大丈夫だよ」それだけしか伝えられませんでした。
既に意識はないものの、私が泣いたらきっと次男が不安になる!と思い、どうにかこうにか涙を堪え、笑顔で手術の成功を祈りながら見送りました。
執刀医の先生が「よしっ」と一言放ち手術室に入っていったのが16:30頃です。
夫と個室の待合室で手術が終わるのを待っていました。
予定としては5〜6時間ほどかかると聞いていたので早くても21:30頃かな〜と思っていたのですが、予定時刻より早い21時頃看護師さんが笑顔で待合室に来ました。
少し早かったのですが、看護師さんの笑顔にホッとした事を覚えています。
それから先生に会い、少しお話をしました。
- 手術は無事成功した
- 水分を抜くために3本の管を胸に通している
- 数日するとどんどん良くなってくると思う
とのことでした。
実際その後ぐんぐんよくなりました。
まぁ、完治はしていませんし、今後も手術は必要になるのですが…
まとめ
手術日の帰路は今までにないくらいキラキラしているように見えました。
世界が輝いて見えるってこういう事なんだって本気で思ったんです(笑)
自分語り多くてすみません。
ですが、病児の親である私たちは(全員ではないですよ、もちろん)こんな風に考えているよ、という事もついでに知っていただければな、と思い書いてみました。
ただの自分の日記だったらもっと書きたい事山ほどあるのですが、誰かの参考になればいいなと思い書いたので色々端折ってしまっています。
ご了承ください。
我が子は正直危ないところにいました。
先生も後日そうおっしゃっています。
(そういうのも別の記事にて)
ですが、我が子はまぁまぁ元気になりました。
風邪ひいただけで入院…とかもあるのが現実ですが。
色んな記事を見て不安になる事もあるかもしれません。
でも、こんな風に元気になる例もあるんだよ!
というのをお伝えできていたら嬉しいです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。